守田です(20201208 16:00) 明日に向けて(2546)
これまで対米戦争開戦の日と、敗戦の日に掲載した記事をリメイクしてお届けします。何度でも繰り返し確認しておきたい重大な事実があるからです。
● 日本の「指導層」は絶対に勝てない対米戦争にのめり込んだ
1941年12月8日、大日本帝国政府は対英対米戦争を開始しました。この日、陸軍部隊が当時はイギリス領だったマレー半島への上陸を開始するとともに、海軍部隊がハワイオアフ島真珠湾の米軍基地を奇襲しました。
この日に可能であればご覧になって欲しい番組があります。NHKが2011年に「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」と問うて作成したドキュメントの4回目「開戦・リーダーたちの迷走」です。
日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダー達の迷走」NHKオンデマンドで購入可能(220円)
この番組を見ると分かるのは、とくに対米戦争の開戦にいたる過程で行われた「大本営政府連絡会議」とその決定を天皇に伝える「御前会議」に出ていたすべてのメンバーが、日本はアメリカに勝てるわけなどないと認識していたことです。
当時、米日の国力差は総合力で80対1。どう考えても勝てるはずなどありませんでした。このことを当時の政府のメンバーも、陸海軍も熟知していて、両軍中枢から何度も「アメリカとの戦争はしてはならない」という声が出ていました。
しかしそこまで敗北必至と分かっていたのに、結局、のめりこんでしまった。なぜでしょう。端的に言えるのは「大本営政府連絡会議」や「御前会議」に出ていた誰一人も、この国を本気で守る気を持っていなかったことです。

● なぜ絶対に勝てない戦争にのめり込んだのか
この愚かな道に突き進んでしまった最大の理由は、それまで自分たちが戦争熱を煽ったため、好戦的になっていた「国民」ないし「臣民」と向き合い、戦争回避を説得する労苦から誰もが逃げたためでした。無責任が支配していました。
それは日本政府の最高意思決定機関の「大本営政府連絡会議」が首相、外務大臣、陸海軍などの寄り集まりでしかなく、決定権もイニシアチブも責任の所在も不明確で、日本の戦略的方向性に責任を持とうとしなかったことの結果でもありました。
とくに1941年6月にドイツがソ連との戦端を開くと、陸軍は勝手に満州方面への展開を増やし、海軍も勝手に仏領インドシナ(現在のベトナム)に進駐し、結果的にアメリカとの対立を決定的なものにしてしまったのでした。
アメリカはイギリス、中国、オランダとともに石油輸出を全面的にストップ(ABCD包囲網)、日本に中国からの全面撤退を要求しましたが、番組では仏印進駐を決めた誰もが、そんな結果を全く予想していなかったことを明らかにしています。
日本は大きな窮地に追い込まれました。首脳陣の誰もが米国の要求を呑むしかないと考えましたが、日本は中国で兵士20万人の死をもたらし、国家予算の7割をもつぎ込んでいたので、引き下がるとは言えなくなってしまっていた。
といっても勝ち目がないことは歴然。海軍も陸軍もそれを知していました。しかしここまで来ても「絶対に勝てない」と言い出す責任を果たそうとせず、両軍とも互いに相手に先に言わせて幕引きしようと画策していました。

そんな中、近衛文麿首相は独自にアメリカ大統領と交渉を進め、和睦を結び、天皇の裁可を受けることで国民を納得させようとしました。天皇を担ぎ出してことを収めようとしたのです。しかしこれに失敗して総辞職し、政権を投げ出してしまいました。
首脳たちは困り果てましたが、内大臣木戸孝一推薦のもと、陸軍大臣東条英樹を首相とする内閣を誕生させました。実はその狙いは戦争回避にあったのでした。「天皇に忠実な東条なら天皇が戦争回避を命令すれば陸軍を抑えられる」と考えたのです。
この時、天皇は「白紙に戻して検討を」とまで言ったものの「戦争を止めよ」とまでは言い出さなかった。結局、日本の首脳陣には、この国を真に守るために、身体をはろうとするものが、一人もいなかったのでした。

●「愛国」なんて嘘っぱちだった
あまりにばかばかしく嘆かわしい事態でした。そしてそれは、いまなお日本政府が大きな戒めとすべきことです。この点について番組の最後で、自身もまた開戦反対ながら黙っていた佐藤賢了元陸軍省軍務課長が、戦後にこう述べたことが紹介されています。
「独裁的な日本の政治ではなかった。だから(戦争回避)はできなかったんです」「こうした日本人の弱さ、ことに国家を支配する首脳、東条さんをはじめ我々の自主独往の気力が足りなかったことが、この戦争に入った最大の理由だと思います」
確かにイニシアチブはなかった。しかしこれまたあまりに無責任な発言です。そうではない。欠けていたのはこの国を真に守る気力、事態に責任をとる気力だったのです。大日本帝国か掲げる「愛国精神」など、嘘っぱちだったのです。

その後、この国は平和憲法を持ち、戦争を否定して今日まで歩んできました。それをもたらしたのは、愛国心など皆無だった首脳たちに騙され、戦争を担わされた人々でした。庶民の中には戦争の無謀さを知らず、真剣に担ってしまった人々がたくさんいた。
その中から「もう二度とあんなに空しいことはしてはいけない」「戦争だけは起こしてはいけない」という思いが生まれ、行動に結びつき、平和と民主主義を下支えしてきたのです。
しかしあの戦争に国民・臣民をひきずり込んだ責任者たちの多くは、戦後にアメリカに全面的に擦り寄って生き延びました。今日、その二世、三世ないしゆかりのものが政権の中にいます。私たちはこの負の歴史を清算をしなくてはいけない。
大事なのは二度と「国」に騙されてはならないということです。実は「国」も「国民」も一つの幻想共同体なのです。どういうことかというと、一部の人々の利害が、常に「国」や「国民」の利害として宣伝されてきたのです。
それで「愛国」が強調される。でもあの戦争に突入した人々には「国」に対しても「国民」に対しても、愛なんてまったく持ち合わせていなかった。そしてその人々の流れをくむ人々が、同じようにいま政府中枢にいて、同じような騙しを行い続けている。
憲法前文を思いだしましょう。特にこの文脈の中で大事なのは(われわれは)「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることにないように決意し」という一文です。

● 原発推進は対米戦争推進と同じ道
また私たちは戦争だけでなく、この社会を滅ぼしかねない愚策、原発推進策こそ、対米戦争と同じような道であることをここでしっかりおさえておきましょう。
なぜか。原子力の夢はもうとうに潰えていてあるのは危険ばかりだからです。高速増殖炉もんじゅも、六ヶ所再処理工場もできなかった。原子力はオワコンです。しかもそんなこと、政府の中枢にいる人々は誰もが知っている。マスコミだって知っています。
それは例えば前々回の総裁選の時の有力候補だった石破氏も、小泉氏も、河野氏も、原子力政策の見直しを掲げてながら首相になる目が出ると引っ込めたことに現れています。さらに首相を辞めた5人が連名でEUの原発推進策への批判声明を出しました。

いま次世代革新炉の創造が叫ばれていますが、そんなもの、仮にできたとしても10年、20年以上先のこと。いやできない可能性の方がずっと高い。高速増殖炉も再処理工場もできなかったのですから。
となれば原子力推進のためには老朽炉を動かすしか道がない。しかし地震大国でそんなことを続ければ、東電福島原発事故以上の、破局的な事故にいたる可能性が大きくあります。亡国の道です。
しかもそんなことは、分かっているのです!にもかかわらず中越沖地震で激しく壊れ、長く停まっていた柏崎刈羽原発や、活断層が直下にある可能性がなかなか否定できなかった泊原発が再稼働されようとしている。
しかも両原発を管轄する東京電力も、北海道電力も、不祥事を繰り返しています。そんな電力会社に運転させてはいけないことを、政府関係者だって知っているのです。にもかかわらず止めようとしない。
裁判所も同じです。あれだけの事故を起こした国のことも、東電のことも、ちっとも罰しようとしない。罰しなくては社会の危険が深まることを知っているにも関わらずです。
絶対勝てない対米戦争に突入したように、いま破局的事故の可能性があまりに大きい原発の再稼働が続けられている。もうこんなことを許してはいけない。私たちは今度こそこの事態をひっくり返しましょう。
余りに愚かな対米戦争を始めてしまってから84年後の今日12月8日に、私たちはこのことを胸に誓いましょう!

追記(9日12時40分 10日15時00分修正)
8日23時15分ごろ、青森県で震度6強の地震がおきました。震源地は東方沖、マグニチュード7.5だそうです。この地震で六ヶ所再処理工場の使用済み核燃料プールから650リットルの水が漏れだしました。大きな揺れに襲われたからです。
あらためて一刻も早く原発と再処理工場をストップして安全状態に移さねばと痛感しました。急がねばです。みんなで頑張りましょう!
以下の企画にもご参加を!